今日の聖句 2月15日(月) 私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないでは ないか。 ヨブ2:10 神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせ るようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練ととも に、脱出の道も備えてくださいます。 1コリント10:13 ************************************* 今週のテーマ:キリスト者の自由 きょうの聖書:ガラテヤ5:13-15 ガテや人への手紙5章13節 兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その 自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。 「罪から解放された自由」 自由と放縦の履き違いということは昔からいわれています。一見とてもよく似て いる、自由に生きることと、好き勝手に生きることとは全く違うのです。自分の 欲望の赴くままに生きることは明らかに罪です。聖書がいう偶像礼拝とは、神様 を無視して好き勝手に生きることなのです。自由に罪を犯しても良いということ は絶対にないことです。 自由とは、罪の束縛から解放されて罪に悩まされずに生きることができる状態を 表わす言葉です。圧倒的に多くの人は罪の力に縛り付けられて罪から離れること ができず、あたかも罪の奴隷のような生き方ををしています。悪いことと知りな がら悪いことを止められず、良いことと分かっていながらその良いことを実行で きないことは正に不自由そのものです。 イエス・キリストの十字架と復活は私たちに自由を与えるための神様の愛の御業 です。私たちはキリストから自由を与えられるために召されたのです。神様から 愛され、神様を愛し、神様から愛され、人々を愛すことができる自由です。神様 から罪の赦しを与えられ、他の人の罪を赦すことができる自由です。神様を信じ 神様に仕えることができる自由とも言えます。 私たちクリスチャンはキリストに見習って生きる生き方をします。罪の束縛から 解放されて自由になっている私たちにはキリストを手本にして生きるという素晴 らしい生き方ができるのです。イエス様は命を捨ててまで私たちを愛し、私たち の罪を取り除くという大きな御業を成し遂げてくださいました。ですから私たち も愛をもって互いに仕え合うのです。 祝福を祈ります。