今日の聖句 2月3日(水) 万軍の主が立てられたことを、だれが破りえよう。 御手が伸ばされた。イザヤ14:27 これらのことからどう言えるでしょう。 神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。 ローマ8:31 ************************************* 今週のテーマ:イエスに生きる きょうの聖書:1コリント3:18-23 コリント人への手紙第一3章22節23節 ですからだれも人間を誇ってはいけません。すべては、あなたがたのものです。 パウロであれ、アポロであれ、ケパであれ、また世界であれ、いのちであれ、死 であれ、また現在のものであれ、未来のものであれ、すべてあなたがたのもので す。そして、あなたがたはキリストのものであり、キリストは神のものです。 「キリストのもの」 愚かになるとか、世の知恵は神の前では愚かであるとか、断定的な言い方をパウ ロはしていますが、これは一章にある言葉を思い起こし、そこに戻そうとするた めです。「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受け る私たちには、神の力です。それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵 ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。」(1:18-19) 世の人には愚かに思える十字架のことば、キリストの十字架の出来事に信頼を寄 せることこそ、知恵の出発点なのだというわけです。そこに神の知恵が隠されて いるからです。私たちが十字架のことばを思い出すときに、心は信仰と謙遜に復 帰します。キリストの十字架の身代わりの死が、私たちの救いといのちの原点な のだということがよく分かります。 「すべてあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のもの です」という言葉の背後に教師を取り込む分派活動への厳しい戒めが示されてい ます。私たちがどこに所属し、誰に所属しているのかということを真剣に考える ことができれば当然、行動や言葉に気をつけるようになるでしょう。パウロは、 私たちはキリストに属し、神に属して生かされているのだと教えています。 だからこそ、キリストの心を思いつつ生きる姿勢が育つことは当然なのです。キ リストに属し、神に属している存在としての個人、教会、そういう意識をもう少 し大事にしながら生きたいですね。「贖い」ということの意味があります。もと もと神のものであった私たちが、罪によって罪とサタンの奴隷になってしまいま した。その私たちを罪とサタンの縛りから解放して、神のもとへ立ち返らせてく ださったことが贖いなのです。私たちはイエスに生きるのです。 祝福を祈ります。