今日の聖句 2月2日(火) 神が、さばきのために、そして地上の貧しい者たちをみな、救うために、立ち上 がられたそのときに。 セラ 詩篇76:9 主の目は義人の上に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。しかし主の顔は 悪を行う者に立ち向かう。 1ペテロ3:12 ******************************** 今週のテーマ:イエスに生きる きょうの聖書:1コリント3:10-17 コリント人への手紙第一3章16節17節 あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知 らないのですか。もし、だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされ ます。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたがその神殿です。 「神の神殿」 イエス・キリストを土台にして建てられた群れ、イエス・キリストを信頼してい る個人、そのどちらも「神の神殿」としてパウロは理解しています。聖霊が内に 住んでいるからです。教会というキリスト者の群れは「神の住まわれる神殿」で あり、そこにつながるひとりひとりの個人が神殿でもあります。 「だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます」とパウロは書き ましたが、自らの昔の行状を思い出しながら書いていたとすれば胸の内に哀しみ を感じていただろうなと思います。パウロは以前、教会を迫害する人たちの代表 格だったからです。 ところで神殿の最重要課題は「神への礼拝」です。教会とクリスチャンが神殿と して機能するのは礼拝によってです。そこには赦しの宣言があり、献金があり、 祈りがあり、賛美があり、み言葉の朗読がありました。私たちの生きる場でそれ らのことを生きるとすればどういう形になるのでしょう。それは常に神様をあが めて生きることです。 ヨーロッパにおける聖堂建築の荘厳さ、何百年も掛けた建築物としての教会堂は 聖とされた人たちの集まる場所、神の臨在の場所としての意識の中から生まれた ものだと思います。献堂式というのもありますが、私たちは自分を礼拝者として 神様に献げるものでありたいと思います。神様は私たちを礼拝者として招いてい てくださいます。 祝福を祈ります。