今日の聖句 1月26日(火) 地の果て果てに住む者もあなたの数々のしるしを恐れます。あなたは、朝と夕べ の起こる所を、高らかに歌うようにされます。 詩篇65:8 それから、ふたりをその家に案内して、食事のもてなしをし、全家族そろって神 を信じたことを心から喜んだ。 使徒16:34 ************************************* 今週のテーマ:神の招き きょうの聖書:マタイ10:16-25 マタイの福音書10章18節19節20節 あなたがたは、わたしのゆえに、総督たちや王たちの前に連れて行かれます。 それは、彼らと異邦人たちにあかしをするためです。人々があなたがたを引き渡 したとき、どのように話そうか、何を話そうかと心配するには及びません。話す べきことは、そのとき示されるからです。というのは、話すのはあなたがたでは なく、あなたがたのうちにあって話されるあなたがたの父の御霊だからです。 「献身の召し」 神様は私たちを宣教する人、伝道する人、証をする人、キリストを紹介する人と となるようにと招いています。キリストを信じているということで逮捕されるこ とも、裁判に掛けられることも外国に追放されることも、すべてはイエス・キリ ストの十字架と復活による人類救済の御業を証言するためなのです。 私たちが証言すべき位置についたときには、聖霊様ご自身が私たちの口を通して お語りになるので、私たちは、どう話そうかと考えたり心配する必要はないので す。私たちに必要なことは、イエス様の十字架によって罪を赦され、イエス様の 復活によって新しい人間に生まれ変わったという新生の体験をすることです。 クリスチャンとして誠実に生き、そして、聖書に対して忠実に生きているならば 神様はそういう人をキリストの十字架と復活の証人として用いてくださいます。 牧師となり、宣教師となって神様への献身の道を歩もうとする場合は、神様が自 分を献身の道に召しているという確信を授かることが必要です。これを献身の召 命を受けるといいます。 神様はすべての人を神様の御用に招いているのですが、それを他人事と思う人に は献身の召命にはならず、私が招かれていると受け止める人にはその受け止めが 献身の召しの確信になるのです。私の場合「主がお入用なのです」(ルカ19:31) というみことばがキリストの私を招くことばとして私の心に届きました。神様は 私たち一人一人の人間が必要なのです。私のことではないと思ってはいけないの です。私たちはロバの子以上の存在だからです。 祝福を祈ります。