今日の聖句 11月16日(月) 御目は人の子のすべての道に開いており、人それぞれの生き方にしたがい、行な いの結ぶ実にしたがって、すべてに報いをされます。 エレミヤ32:19 私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。 使徒17:28 ************************************* 今週のテーマ:みこころにかなう生き方 きょうの聖書:マタイ11:20-30 マタイの福音書11章28節29節30節 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたし があなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、 あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたま しいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからで す。 「神のの愛への招き」 先年、習志野教会で奉仕していたとき、地元の牧師に誘われて、星野富弘美術館 に行きました。その途中、富弘さんの生家に立ち寄ったのですが、裏の畑の更に その奥の斜面に十字架の立つお墓がありました。星野家の墓ではありません。そ の墓標はステンレス製でしたが、富弘さんが子どもの頃は木の十字架だったそう です。 肥桶を天秤で担いでは、その墓まで登り、墓標に書かれている「すべて、疲れた 人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい」という言葉を読むと、 肥担ぎをして疲れている自分を招いているのかなと思っていたそうです。事故で 障害を負い、その後クリスチャンになって始めて、それが聖書にあるキリストの 招きのことばであると知ったそうです。 ほとんど、すべての人は、自分が天と地の創造者である全能の神様から招かれて いるとは思いません。神は居ないという常識の中で生きている人たちがどうして 神様から招かれていると考えられましょう。しかし、現実に神様は世界の全ての 人々に「わたしのところに来なさい」と招きの声をかけていてくださるのです。 神様の傍へ近づけない私たちに、神様の方から近づいてくださいました。そして 私たちの担いでいる重荷を肩代わりして背負ってくださるというのです。これを 自分のためだと考えることが大事なのです。聖書のことばは神様が私たち個人個 人に語りかけていることばです。そのような読み方をしないと神様の気持ちは理 解できません。みこころをを知るには神様が聖書を使って私に語りかけていると 思うことです。神様は今日も私たちに「わたしはあなたを愛している」と語りか けています。 祝福を祈ります。