今日の聖句 10月22日(木) 見よ。国々は、手おけの一しずく、はかりの上のごみのようにみなされる。 イザヤ40:15 また私は、もうひとりの御使いが中天を飛ぶのを見た。彼は、地上に住む人々、 すなわち、あらゆる国民、部族、国語、民族に宣べ伝えるために、永遠の福音を 携えていた。 黙示録14:6 ************************************ 今週のテーマ:イエスは何者 きょうの聖書:ヨハネ8:48-59 ヨハネの福音書8章56節57節58節 あなたがたの父アブラハムは、わたしの日を見ることを思って大いに喜びまし た。彼はそれを見て、喜んだのです。そこで、ユダヤ人たちはイエスに向かって 言った。「あなたはまだ五十歳になっていないいのにアブラハムを見たのです か。」イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。 アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです。」 「わたしはいる」 イエス様が、オリーブ山の傍の会堂で姦淫の現場で捕まえられた女に「わたしも あなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません」 と赦しを与えたとき、そこに居たユダヤ人達がイエス様に対して「私たちが、あ なたはサマリヤ人で、悪霊につかれていると言うのは当然ではありませんか」と 言いがかりをつけてきました。 悪霊に憑かれている証拠としてユダヤ人が挙げたことは「だれでもわたしのこと ばを守るならば、その人は決して死を味わうことがない」というイエス様のこと ばでした。すべての人が死ぬといことが当たり前なのに、イエス様を信じるなら 死を味わわないというのは明らかに悪霊の言うことだという論法です。 古代のユダヤ社会ではアブラハムやモーセは神様の代名詞のように使われていま した。三十歳そこそこのイエス様がアブラハムにあったはずはないのに、そのア ブラハムがイエス様に会いたいと願っていたというイエス様のことばは彼らには 理解できませんでした。イエス様は「アブラハムが生まれる前から、わたしはい るのです」とご自分がアブラハムが礼拝した神であることを明言したのです。 「わたしはいる」ということばは、神様がモーセに現われたとき、ご自分のお名 前を「わたしはある」というものである、と言われたときの神様の御名と同じこ とばです。イエス様はこの場面で、モーセに燃える火の中から語りかけた神、イ スラエルをエジプトから救い出した神は自分であると宣言したのです。イエス様 は天と地の創造者である神様なのです。 祝福を祈ります。