今日の聖句 10月10日(土) 窮した者の祈りを顧み、彼らの祈りをないがしろにされなかったからです。 詩篇102:17 まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつま でもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。 ルカ18:7 ************************************** 今週のテーマ:主の戒め きょうの聖書:イザヤ28:23-29 イザヤ書28章23節24節25節 あなたがたは、私の声に耳を傾けて聞け。私の言うことを、注意して聞け。農夫 は、種を蒔くために、いつも耕して、その土地を起こし、まぐわでならしてばか りいるだろうか。その地面をならしたら、ういきょうを蒔き、クミンの種を蒔き 小麦をうねに、大麦を定まった場所に、裸麦をその境に植えるではないか。 「農業と信仰」 農家は作付けの時期を間違えることはなく、収穫に際しても作物ごとに別々の道 具を使って、柔らかい実を潰さないように細心の注意を払っている。農家は作物 の弱さをよく知っているのです。同じように、神様は私たち個人個人の状況や弱 さ全てを考慮して、繊細な取り扱いをして下さいます。 私たちは優れた農家や、神様に倣って、他の人に接していくべきであることが教 えられています。パウロはユダヤ人にはユダヤ人のように、ギリシヤ人にはギリ シヤ人のようにと言いました。人間は、個人個人異なる対応が必要だということ です。私たちの隣人が必要としていることや、特別な状況に敏感に対応できるよ うになっていくことが求められているのです。 「これもまた、万軍の主のもとから出ることで、そのはかりごとは奇しく、その おもんぱかりはすばらしい。」(イザヤ28:29)愛は神様の元から流れ出てきてい るのです。愛とは与えることだ、という言葉があります。「神は、実に、そのひ とり子をお与えになったほどに世を愛された。」(ヨハネ3:16)という神様の愛は 私たちの心に染み込んでいます。 地ならしばかりしていて、作付けも収穫もしないということは、聖書を読むだけ で神様の愛を受けとめず、祈るだけで他の人に愛を提供しないでいる、自称のク リスチャンの姿かも知れません。人を愛すタイミングを逃すと再びその機会が巡 ってくるかどうかは分からないのです。今日会う人に笑顔で挨拶し、今日出会う 人の必要に応えて、キリストに仕えましょう。 祝福を祈ります。