今日の聖句 10月3日(土) もし主が、「あなたはわたしの心にかなわない」と言われるなら、 どうか、この私に主が良いと思われることをしてくださるように。 2サムエル15:26 もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。 ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。 ローマ14:8 ************************************** 今週のテーマ:信仰と実践 きょうの聖書:2サムエル22:21-31 サムエル記第二22章22節23節24節 私は主の道を守り、私の神に対して悪を行わなかった。 主のすべてのさばきは私の前にあり、そのおきてから私は遠ざからなかった。 私は主の前に全く、私の罪から身を守る。 「裁かず、赦す」 これは、ダビデがサウルの攻撃から逃れたときに、神様に感謝して歌った賛美の 詩の一部です。ダビデは再三にわたってサウルから命を狙われましたが、決して 自分からサウルに襲いかかり、或いは報復をすることはありませんでした。ダビ デにとってサウルは妻の父親であり、主である神様によって立てられたイスラエ ルの王であるからです。 サウルがダビデを殺そうとしても、ダビデが自分の手でサウルに反撃すれば、そ れは、サウルを立てた神様に反抗することになるとダビデは考えたのです。「私 は主の道を守り、私の神に対して悪を行わなかった」とはそういう意味であるの です。ダビデは神様の領分と自分の領分をわきまえていたわけです。 邪悪を裁くのは神様であって、人間には他の人を裁く権利はないのです。パウロ はローマ2:1 「すべて他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません。あ なたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。さばくあな たが、それと同じことを行っているからです」と教えています。 キリストは私たちの罪をすべて赦して、私たちを神のことして生かしていてくだ さいます。赦すということが、神様にとってどれだけ大事なことであるか、和解 するということがどれだけ尊いかということを教えられます。私たちも、キリス トが愛したように愛し合い、キリストが赦したように赦し合うことを信仰の実践 の中心に据えて、そこから動かさないようにしましょう。 祝福を祈ります。