今日の聖句 9月30日(水) 主よ、あなたは、私たちの父です。 あなたの御名は、とこしえから私たちの贖い主です。 イザヤ63:16 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご 自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられ たことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてく ださいました。 1ペテロ1:3 ************************************** 今週のテーマ:信仰と実践 きょうの聖書:ヤコブ2:14-26 ヤコブの手紙2章14節 私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行いがないな ら、何の役に立ちましょう。そのような信仰がその人を救うことができるでしょ うか。 「善行」 イエス・キリストへの信仰によってよって救われた人は、その信仰と、救われた 事実とを善行によって証明しなければなりません。証明できないならその信仰と 救いは実体はなく、キリストへの信仰には効力がないことを示してしまうことに なります。救いの証しとは口先だけで済むものではないのです。 ヤコブはここで、アブラハムとラハブという女性の信仰と行いを例に引いて「信 仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは、死んだものです」と語っていま す。アブラハムは神様を信じました。アブラハムが神様を信じているということ は、モリヤの山でイサクを犠牲にしようとしたことで証明されました。ラハブは イスラエルがエリコの城に入ろうとしたととき、イスラエルの偵察をかくまった ことで信仰が証明されたと言っています。 キリストの愛を動機にした善行が求められています。善行を積めば救われるので はなく、キリストの愛によって救われたならば、私たちもキリストのように具体 的に他の人を助けることができるようになるはずです。キリストだけが犠牲を払 って、私たちが犠牲を払わなくて良いということはあり得ません。 イエス様はルカの9:23で「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を 捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」と私たちを招 いています。イエス様が私たちを愛したように私たちも愛し合い、イエス様が私 たちを赦したように赦しあい、そして、イエス様が私たちに与えてくださったよ うに私たちもお互いに与え合うのです。 祝福を祈ります。