今日の聖句 9月5日(土) 主よ。あなたのあわれみと恵みを覚えていてください。 詩篇25:6 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだ めの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。 1ヨハネ4:10 ************************************* 今週のテーマ:清くなる道 きょうの聖書:レビ記9:15-24 レビ記9章15節16節 アロンは民の献げ物をささげた。すなわち民の贖罪の献げ物として雄山羊を取っ て屠り、さきに自分のためにしたと同じように、贖罪の儀式を行った。次に、焼 き尽くす献げ物の動物を引いて来て、規定に従ってささげた。 「贖罪の儀式」 この記事は、エジプトを脱出したイスラエルが、指導者モーセに指示されたとお りに、モーセの兄であるアロンによって行なわれた初めての贖罪(しょくざい) の儀式の記録です。一般にいう贖罪とは、体罰を受ける者が金銭を支払うことに よって赦免を受けることです。 これに対し、キリスト教でいう贖罪とは、神様に対する人の罪を取り扱うもので 人には処理できない罪を、神の御子であるイエス・キリストが十字架の死によっ てあがない、神様と人とを和解させたという意味です。神様に動物を献げるとい う儀式は、イエス・キリストの十字架の死の模型だったのです。 もし、やぎと雄牛の血、また雌牛の灰を汚れた人々に注ぎかけると、それが聖め の働きをして肉体をきよいものにするとすれば、まして、キリストが傷のないご 自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私 たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者とすること でしょう。(ヘブル人への手紙9:13-14) つまり、古代のイスラエルでは、牛などを犠牲にして人々の心をきよめたのです が、キリストの十字架以後はイエス・キリストを信じることによって、人の罪は 赦され、心の汚れもきよめられて、神様と和解できるようになったということで す。神様との和解が成立した人をきよめられた人といいます。 祝福を祈ります。