今日の聖句 8月23日(日) 疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。 イザヤ40:29 ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじて います。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。 2コリント12:10 ************************************** 今週のテーマ:神による救い きょうの聖書:ゼカリヤ9:11-17 ゼカリヤ書9章15節16節 万軍の主が彼らをかばうので、彼らは石投げを使う者を滅ぼして踏みつけ、彼ら の血をぶどう酒のように飲み、鉢のように、祭壇の四隅の角のように、満たされ る。その日、彼らの神、主は、彼らを主の民の群れとして救われる。彼らはその 地で、きらめく王冠の宝石となる。 「神様の宝物」 主が彼らをかばう、主は、彼らを・・救われる、と言われています。これらの文 の主語は「主」です。神様が主体的に神様の民を含めるすべての人に救いを与え るのです。救いに関しては、私たち人間が主体になることはありません。自分で 自分を救おうと思っている限り、私たちに救いが訪れることはないのです。 救われた人は、王様である神様の王冠の宝石になるといわれています。救われた 人は神様の宝物なのです。それは、キリストがご自分のいのちと引き替えに神様 に献げた者が最大の宝となったということです。私たちは、自分が神様にとって の宝であるということを大いに喜びたいものです。 救いの確信を握るための努力は怠ってはなりません。その努力の結果、神様が私 を救ってくださったのだという確信に至るからです。石投げとは、古代の戦から 第一次世界大戦まで使われたカタパルトという城攻め大砲のことです。直径60 pもの玉石を数百メートルも飛ばす強力な兵器を使う敵軍に囲まれても、神様が 救ってくださるという確信が謳われています。 罪の力もサタンの力もとてつもなく大きいのですが、神様の力はそれを大きく上 回っています。天地を造った力であり、十字架と復活によって死の力に打ち勝っ た愛の力です。神様が主体的にご自分の持つすべての力を発揮して私を救ってく ださるのだ、という信頼の気持ちを持つことが何より大事なことなのです。 祝福を祈ります。