今日の聖句 6月22日(月) あなたは私を大またで歩かせます。私のくるぶしはよろけませんでした。 2サムエル22:37 イエスは、そこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人 をご覧になって、「わたしについて来なさい」と言われた。 マタイ9:9 ************************************* 今週のテーマ:信仰の実 きょうの聖書:ルカ8:4-15 ルカの福音書8章5節〜8節 種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いているとき道ばたに落ちた種があった。す ると人に踏みつけられ、空の鳥がそれを食べてしまった。また、別の種は岩の上 に落ち、生え出たが水分がなかったので、枯れてしまった。また、別の種はいば らの真ん中に落ちた。ところが、いばらもいっしょに生え出て、それを押しふさ いでしまった。また、別の種は良い地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。 「心の備え」 この種を蒔く人のたとえは、マタイ13章3節以下、マルコ4章3節以下とこの ルカ8章5節以下の3箇所に記録されています。蒔かれる種は、みことばです。 蒔かれる土地は私たちの心です。日本の農家は道や岩の上に種を蒔くことはしま せん。しかし、中近東方面などでは、種をわしづかみにして辺り一面にまき散ら すのです。種は何処へ飛んでいくか分かりません。 種が落ちた場所が問題なのです。みことばが蒔かれた場所が道だとか岩の上だと かは、みことばを聞いた人の心や生活の状態です。みことばを聞いても受容しな かったり、すぐに飽きてしまう人とか、都合が悪くなるとみことばを捨ててしま う人たちのことです。それでは、いくら説教を聞いても、聖書を読んでも身につ きませんし、みことばの実が稔ることもありません。 良い地に落ちた種もありました。良い地とは、みことばを受け入れるために良く 耕された土地のことです。私たちはみことばを受け入れる心の準備をしておくこ とが必要なのです。たとえば、礼拝に出かける前に「今日語られるみことばによ って信仰の養いを受けられますように」と祈ったり、聖書を開く前に「私の心が 開かれて、神様の愛の注ぎを受けられますように」等々祈って備えることです。 私は、飯田から千葉の聖書学院に入学する前、飯田教会の礼拝に出席する前に教 会の近くの公園で1時間くらい祈ってから教会の玄関に入ることがしばしばあり ました。今でも聖書を読む前には「今日読む聖書から、神様を信じキリストに従 う者としての養いを受けられますように」という祈りは欠かしていません。青梅 教会の賛美リーダーは「私たちが賛美する上で妨げになるものを神様に取り除い て頂けるように祈りましょう」と言って、賛美前のご一緒の祈りがあります。 祝福を祈ります。