今日の聖句 6月21日(日) 貧しさも富も私に与えず、ただ私に定められた分の食物で私を養ってください。 箴言30:8 私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。 マタイ6:11 ************************************** 今週のテーマ:信仰の実 きょうの聖書:ルカ6:37-45 ルカの福音書6章37節38節 さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めては いけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば 自分も赦されます。与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量り をよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてく れるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからで す。」 「赦すこと」 私たちは面と向かって相手に有罪判決を言い渡すようなことはできません。私た ちが他の人を裁くときはたいてい、陰で悪口を言うくらいです。それが発展する と口げんかになっていきます。ののしり合いです。相手を悪く言うと、逆に、お 前の方がもっと悪いと言い返されてしまうということです。 私たちが他の人を裁くもう一つの形は、質問するというやり方です。警察や検事 の質問は尋問といいます。相手の非を問い詰めていく手法です。質問する人の心 に相手を攻撃する意図があるとそれは直ぐに相手に伝わります。私たち牧師も質 問の言葉には十分に気をつけなければならないのです。 私たちが被害者意識に取りつかれることが問題になるので、赦す心をもって生活 することが大事です。相手の罪を認めず、むしろ相手を高く評価するならば、相 手からも私たちを高く評価してもらえるわけです。「人のした悪を思わず」とは コリント人への手紙13章5節のみことばです。「くよくよしない」ということ は私たちにとって大事なことなのです。 信仰の実は、イエス様から愛されているという自覚とともにイエス様から受けた 赦しの恵を分かち合っていくところにあります。救われたのは救うため、赦され たのは赦すためです。もし私たちが他の人を赦さないならば、私たちはキリリス トの恵を証しすることも、キリストの復活を宣べ伝えることもできないのです。 祝福を祈ります。