今日の聖句 5月27日(水) 正しいさばきを行い、互いに誠実を尽くし、あわれみ合え。 ゼカリヤ7:9 あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。 マタイ5:7 ************************************* 今週のテーマ:復活の力 きょうの聖書:ピリピ3:1-11 ピリピ人への手紙3章8節〜11節 私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っていま す。それは、私には、キリストを得、また、キリストの中にある者と認められ、 律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信 仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるから です。私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかる ことも知って、キリストの死と同じ状態になり、どうにかして、死者の中からの 復活に達したいのです。 「真実な礼拝」 パウロは自分の真の願いは、常に復活の力によって生かされていたいということ だと言っています。死者の中からの復活に達したいという言葉です。キリストの ように死からよみがえったものとして生きていたいということです。パウロはユ ダヤ教の律法主義の中で死んでいたのです。しかし、ダマスコ方面へ避難しよう とするクリスチャンを馬で追いかけていったときに、復活したイエス様に出会い ました。その日以来、パウロは復活したイエス・キリストによって生きるように なったのです。 すべてのものを捨てたと言っていますが、捨てたものとは律法主義とユダヤ人は 選民だという誇りです。律法主義も選民意識もそのようなものは人間の人生や人 格の救いのためには何の効果もないものだからです。人を救うのはイエス・キリ ストだけであり、私たちとしては、イエス・キリストを信じること以外には救い はないと知っているからです。 キリストの死と同じ状態になるとは、生まれながらの利己的な自分に死ぬという ことです。その上で、復活のいのちに溢れる経験を重ねていきたいという気持ち が述べられているというわけです。「どうにかして、死者の中からの復活に達し たいのです」とは、ユダヤ教徒は律法主義によって復活できると考えているけれ ど、そんなことは絶対にあり得ないということと、キリストを信じる以外に復活 の道はないことを力説している言葉です。 多くの人が律法主義に惑わされ、多くのクリスチャンが律法的な生き方に陥って いきます。それは、形ばかりの信仰であり、自己満足と自己中心な生き方です。 イエス・キリストは復活して私たちに、愛と平和と躍動すいのちに満ちた人生を 提供してくださっています。イエス・キリストを高く見上げて生きる真実な礼拝 生活が求められています。この招きに喜んで応答しましょう。 祝福を祈ります。