今日の聖句 5月22日(金) あなたは主によって喜び、イスラエルの聖なる者によって誇る。 イザヤ41:16 最後に、私の兄弟たち。主にあって喜びなさい。前と同じことを書きますが、こ れは私には煩わしいことではなく、あなたがたの安全のためにもなることです。 ピリピ3:1 ************************************* 今週のテーマ:神の民 きょうの聖書:ローマ14:1-12 ローマ人への手紙14章3節4節 食べる人は食べない人を侮ってはいけないし、食べない人も食べる人をさばいて はいけません。神がその人を受け入れてくださったからです。あなたはいったい だれなので、他人のしもべをさばくのですか。しもべが立つのも倒れるのも、そ の主人の心次第です。このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせ ることができるからです。 「裁いてはいけない」 食べる人とは、偶像に供えた肉を食べる人のことです。食べない人とは、偶像に 供えた肉は食べない人です。エルサレム教会は外国に生まれたキリスト教会の守 るべき基準を「偶像に供えた物と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けるこ とです。これらのことを注意深く避けていれば、それで結構です。以上」と決定 し、それぞれの地方の文化や風習を否定しませんでした。(使徒15:29) この他にクリスチャンといえども、神様を礼拝するならユダヤ教の祝祭日は守る べきだと主張する人もあり、また、ユダヤ教の祝祭日に捕らわれずに礼拝すべき だと考える人たちもいました。パウロはローマ教会の信者に食べ物のことや、礼 拝日のことでお互いに裁くことは止めなさいと指導しているのです。私たちは、 他人の気持ちや考え方を否定することは出来ないのです。 他人のしもべとは、キリストのしもべということです。私もキリストのしもべで す。自分が裁こうとしている相手もキリストのしもべです。しもべに対する責任 者は主人です。私たちにはお互いにキリストという監督者がいるのです。自分の しもべに対しては、自分の命令に従わないならば裁けるかも知れませんが、他人 のしもべに対しては口出しは出来ません。 まして、相手はキリストが自分のいのちを身代金にして贖った神様のしもべです から、私たちには裁く資格も権利もありません。お互いにキリストを礼拝し、お 互いにキリストのために生きているのです。キリストは私たちクリスチャンの生 き方を祝福していてくださるのです。私たちはお互いにキリストに仕えているの であって、お互いを自分の下僕のように扱うことは許可されないことです。私た ちが他人を裁くなら、私たちはキリストの主権を侵すことになります。他人を罪 人として裁いた人は裁いた時点で自分が罪人になるのです。 祝福を祈ります。