今日の聖句 5月18日(月) 神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。 神よ。あなたは、それをさげすまれません。 詩篇51:17 これを見たパリサイ人たちが、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、 あなたがたの先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか。」 マタイ9:11 ************************************** 今週のテーマ:神の民 きょうの聖書:使徒26:19-32 使徒の働き26章22節23節 こうして、私はこの日に至るまで神の助けを受け、堅く立って、小さい者にも大 きい者にもあかしをしているのです。そして、預言者たちやモーセが、後に起こ るはずだと語ったこと以外は何も話しませんでした。すなわち、キリストは苦し みを受けること、また、死者の中からの復活によって、この民と異邦人とに最初 に光を宣べ伝える、ということです。 「私たちの未来」 これは、第3回ヨーロッパ伝道旅行を終え、エルサレムの神殿にギリシヤ人を伴 って礼拝に登ったパウロが、ユダヤ当局に、ギリシヤ人を神殿に入らせた罪で捕 らえられた後、最後にローマ皇帝の裁きを受けるためにヘロデ・アグリッパ王と フェスト・ローマ総督の前で自分の信仰を証した言葉の一部です。 パウロがユダヤ当局に捕らえられた理由は、ギリシヤ人を神殿に入らせた罪です かが、その前にギリシヤ方面でパウロが伝道ているとき、救われるためには割礼 は必要ないと教えていたことです。割礼はユダヤ人には無くてはならないものと されていましたが、パウロは救われるために必要なことは、イエス・キリストを 信じることだけだと主張していたのです。 そして、アグリッパとフェストの前で再び「キリストは苦しみを受けること、ま た、死者の中からの復活によって、この民と異邦人とに最初に光を宣べ伝える」 と語り、イエス・キリストの十字架と復活を信じることによる神様の救いを証し ているのです。クリスチャンとはイエス・キリストの身代わりの死によって自分 の罪が赦されて神様と和解した人々なのです。 私たちが幸いな信仰生活をして、人生の最後に天の御国に帰っていくためには、 キリストの十字架と復活を、自分の個人的出来事として受け止めることが必要で す。キリストの十字架と自分の個人生活の中に直接関係が生まれないならば、何 をしても私たちに救いが与えられることはありません。「イエス・キリストの十 字架によって私の罪が赦された」という経験が無くてはクリスチャンにはなれな いのです。キリストの犠牲が私たちの未来を開いたのです。 祝福を祈ります。