今日の聖句 4月18日(土) さあ行け。わたしがあなたの口とともにあって、 あなたの言うべきことを教えよう。 出エジプト4:12 わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき その御霊がわたしについてあかしします。 ヨハネ15:26 ************************************* 今週のテーマ:信仰の生活 きょうの聖書:民数記9:1-14 民数記9章10節11節 イスラエル人に告げて言え。あなたがたの、またはあなたがたの子孫のうちでだ れかが、もし死体によって身を汚しているか、遠い旅路にあるなら、その人は主 に過越のいけにえをささげなければならない。第二月の十四日の夕暮れに、それ をささげなければならない。種を入れないパンと苦菜といっしょにそれを食べな ければならない。 「神様に聞くこと」 エジプトを脱出したイスラエルには、毎年イスラエル暦の1月に過ぎ越のいけに えを捧げることが義務づけられました。イスラエルには律法というものがありま すが、それは主に礼拝に関する規定なのです。ですから礼拝行為であるいけにえ を献げることは、人の死体によって身を汚している人には一定の期間禁じられて いたのです。 これに対してモーセが神様に対応を聞きました。神様は、ご自分で立てた聖なる 基準を変更されません。汚れたものは規定通りにきよめられなければ礼拝できな いのです。そこで、神様の要求も通り、イスラエルも義務を果たせるように、身 を汚した人や長期旅行で過ぎ越の祭りを守れなかった人たちに一月遅れで祭りを 守るように指示しました。 神様に聞きながら生活し、神様の導きを受けながらら生きていくことがとても大 事なことです。神様を無視して独断で礼拝行為をすることはすでに礼拝ではなく なっています。良いことなら、誰にも相談せずに行なっても良い、と考える人が いますが、それにも危険が伴います。 私たちは他の人との関係の中で生きているので、相手の都合や気持ちを聞いたり 同意を求める事は必要なことです。私たちは万事に於いて声を掛け合って生きて いるのです。神様を礼拝するのにも神様の都合や気持ち或いはお考えを聞くのは 当然なのです。それはそうとして、過ぎ越の祭りを守らなければならないという ことは、私たちクリスチャンにとってはイエス様の十字架に対する感謝の礼拝は 欠かしてはならないということです。 祝福を祈ります。