今日の聖句 4月6日(月) まことに、あなたの目には、千年も、きのうのように過ぎ去り、 夜回りのひとときのようです。 詩篇90:4 ちょうどこのとき、イエスは、聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の 主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵の ある者には隠して、幼子たちに現してくださいました。そうです、父よ。これが みこころにかなったことでした。 ルカ10:21 ************************************** 今週のテーマ:復活の主 きょうの聖書:ルカ24:13-32 ルカの福音書24章13節〜16節 ちょうどこの日、ふたりの弟子が、エルサレムから十一キロメートル余り離れた エマオという村に行く途中であった。そして、ふたりでこのいっさいの出来事に ついて話し合っていた。話し合ったり、論じ合ったりしているうちに、イエスご 自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。しかしふたりの目はさえぎ られていて、イエスだとはわからなかった。 「罪からの救い主」 この日とうのは、キリストが復活した日曜日のことです。エマオという村はエル サレムから西へ約11キロの所にありました。クレオパという弟子ともう一人が キリストが死んだことで絶望し、キリストの復活したのはデマだと思ってエルサ レムからエマオへ退こうとしていたときのことです。 この二人は、死んだ人間がよみがえるはずはないという考えのために目が遮られ ていて、イエス様が一緒に歩いていて下さるのにもかかわらず、イエス様をイエ ス様と認識できませんでした。もう一つ理由があります。それは、この二人にと っては、イエス様はユダヤをローマから独立させる運動の指導者になってくれる だろうという期待があったからです。 問題は、イエス様は私たちにとって、私たちを罪から解放する救い主であるとい うことです。政治や経済、医療や教育に対して無関係であるということではあり ません。あらゆる分野が罪によって汚染されています。独立運動が起こればその 運動の中にも必ず罪の汚れが生まれるのです。ローマ帝国より罪の方がはるかに 恐ろしい問題なのです。 この二人のの弟子も、道々、イエス様が旧約聖書から、キリストは人間を罪から 救う救い主であることを説明し、彼らはキリストの死と復活の意味を十分に理解 できたものと思われます。復活したキリストが二人の弟子たちと共に歩いてみこ とばを解き明かしたように、今日も私たちと共にいてみことばの恵みで私たちを 神様の御国へと導いて下さいます。 祝福を祈ります。