今日の聖句 3月31日(火) ああ。主に自分のはかりごとを深く隠す者たち。彼らはやみの中で事を行い、そ して言う。「だれが、私たちを見ていよう。だれが私たちを知っていよう」と。 イザヤ29:15 実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しな さい。 エペソ5:11 ************************************** 今週のテーマ:苦難の主 きょうの聖書:ルカ18:31-43 ルカの福音書18章41節42節43節 彼が近寄って来たので、「わたしに何をしてほしいのか」と尋ねられると、彼は 「主よ。目が見えるようになることです」と言った。イエスが彼に、「見えるよ うになれ。あなたの信仰があなたを直したのです」と言われると、彼はたちどこ ろに目が見えるようになり、神をあがめながらイエスについて行った。これを見 て民はみな神を賛美した。 「目が見える」 聖書には、目の見えない人がキリストによって癒された記事がとても沢山ありま す。目が見えないととても不自由だということがありますが、それとは別に、目 が見えないということは、物事が分からないという意味でも使われる言葉でもあ ります。見えるようになるとは、見て分かるようになるということです。 草花を見、星空を仰いで、創造者を想い描ける人がいます。聖書を読んで神様が 実在だとハッキリ分かる人もいます。しかし、多くの人は自然を見ても、聖書を 読んでも神様が生きて働いている御方だとはなかなか思えないものです。イエ ス・キリストはそういう神様のことがよく分からない人を、神様がよく分かるよ うにしてくださる御方なのです。 キリストが私たちを、神様を見える、ようにしてくださるのは、十字架の死と復 活によってです。キリストは私たちを助けるために十字架で身代わりの死を遂げ ました。死んで埋葬されたイエス様は三日目によみがえって墓から出て、再び弟 子たちと一緒に働くようになったのです。このことが神様の実在と神様の力を決 定的に証明することになったのです。 神様を知らず、罪にまみれて絶望していた人が、キリストによって神様を信じて 暗黒から脱出しています。そういう人をクリスチャンといいます。私、濱野好邦 もその一人です。クリスチャンがこの世界に存在するということも、神様の実在 とキリストの復活を証明しているのです。見えるようになった私たちは神様を崇 めながらイエス・キリストについていくのです。 祝福を祈ります。