今日の聖句 3月22日(日) 多くの民が来て言う。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の 道を、私たちに教えてくださる。私たちはその小道を歩もう。」それは、シオン からみおしえが出、エルサレムから主のことばが出るからだ。 イザヤ2:3 人々は、東からも西からも、また南からも北からも来て、神の国で食卓に着きま す。 ルカ13:29 ************************************* 今週のテーマ:死から命へ きょうの聖書:ローマ9:1-18/ ローマ人への手紙9章7節8節9節 アブラハムから出たからといって、すべてが子どもなのではなく「イサクから出 る者があなたの子孫と呼ばれる」のだからです。すなわち、肉の子どもがそのま ま神の子どもではなく、約束の子どもが子孫とみなされるのです。約束のみこと ばはこうです。「私は来年の今ごろ来ます。そしてサラは男の子を産みます。」 「神様の約束」 神様は予め神様と人との間で約束を結び、その約束の結果としてすべての働きを 成されています。私たちが赦されるのも、私たちが救われるのも、私たちがきよ められるのも、私たちが天の御国に招き入れられることも、すべて神様の約束に よることなのです。 この約束は契約と呼ばれています。旧約聖書は旧い契約であり、モーセを通して 与えられました。新約聖書は新しい契約の書であり、イエス・キリストを通して 私たちとの間に交わされた約束です。神様は真実な方ですからご自分が立てた契 約は必ず実行されます。 イサクは神様とアブラハムとの契約の実行として生まれました。神様の恵は約束 によるのです。約束でない場合は、私たちが神様から祝福を強奪するという形に なります。これは、とても大きな犯罪です。実際には私たちは神様から何かを奪 うということはできません。救いもきよめも神様から奪い取るということはあり 得ないことです。 しかし、私たちは時として、神様の約束を無視し、聖書のみことばを否定して自 分の考えで救われようとしたり、きよめられようとしたりするのです。聖書に何 とかかれているか、神様はどんな約束をされたのか、神様のみことばは何と言っ ているのか、その点を明確にしてお祈りし、信仰生活をすることが何より大事な ことなのです。聖書を基準にして生きるのが私たちクリスチャンなのです。 祝福を祈ります。