今日の聖句 3月17日(火) 主の道は平らだ。正しい者はこれを歩み、そむく者はこれにつまずく。 ホセヤ14:10 「主よ、主よ」と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、 天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。 ************************************* 今週のテーマ:まことの神を知る きょうの聖書:マラキ3:13-18 マラキ書3章16節17節 主を恐れる者たちが互いに語り合った。主は耳を傾けて、これを聞かれた。主を 恐れ、主の御名を尊ぶ者たちのために主の前で記憶の書がしるされた。「彼らは わたしのものとなる。―万軍の主は仰せられる。―わたしが事を行なう日に、わ たしの宝となる。人が自分に仕える子をあわれむように、わたしは彼らをあわれ む。・・」 「わたしの宝」 キリストを信じるということは、謙遜と従順を学ぶということです。高慢不遜な 人間は天の御国に入ることはできません。世の中では、自分の意思を変えず、誰 に対しても謝らずに生きた人が人生の成功者だと言われています。しかし、主の 御名を尊ぶ人は天の御国で神様の宝になるのです。 キリストは御父に対して極限まで謙遜と従順を尽くしました。「神は、すべての 人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます」というみこころの 実現のために生命を捨てるところまでへりくだって神様に仕えたのがイエス様だ ったのです。このイエス様に注目している人がどうして高慢な生き方が出来まし ょうか。 自分の正しさを主張したり、相手の非を数え上げたりすることは、キリストを否 定することであり、そのような生き方はキリストの十字架に反する生き方なので す。イエス様が自分の正しさを主張して、私たちの罪を数えたてたら十字架には かからなかったはずです。 十字架で息を引き取る前に「父よ。彼らをお赦しください」とイエス様が祈って くださいました。私たちの罪を一身に背負ってくださったのです。私たちの罪を 赦して私たちを救うためにイエス様は御父に謝ってくださったのです。このイエ ス様を手本にして生きる人が神様から「わたしの宝」と呼ばれるのです。私たち も神様を喜ばせる謙遜な人になりましょう。 お早うございます。