今日の聖句 2月28日(土) わが神。私はみこころを行なうことを喜びとします。 あなたのおしえは私の心のうちにあります。 詩篇40:8 神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。 1ヨハネ5:3 ************************************** 今週のテーマ:み声を聞く者 きょうの聖書:ヨハネ10:7-18 ヨハネの福音書10章14節15節 わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのも のは、わたしを知っています。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を 知っているのと同様です。また、わたしは羊のためにわたしのいのちを捨てます。 「十字架と私」 牧者という言葉は旧約聖書で国民の指導者という意味で使われています。特に預言 書では救い主の別称として用いられています。ダビデは詩篇の中で神様を牧者と呼 んでお祈りをささげています。羊飼いという意味もありますが、人間にとっての羊 飼いは、明らかにキリストであり神様です。 イエス様は私たちの造主ですから、私たち一人一人の実情を良く理解しておられま す。御父が御子キリストをよく知っているのと同じように私たちを知っていると言 っておられます。私たちはキリストから知られているのです。私たちの気持ちや現 状がキリストによって知られ、理解されているということはとても幸いなことであ り、安心できることです。 私たちがキリストを信じ、キリストを知っていることは素晴らしいことですが、私 たちが天地の創造者によって知られているということはもっと素晴らしいことなの です。私たちは罪にまみれた汚い罪人なのです。キリストはそれを良く理解し、私 たちを罪の汚れからきよめるために十字架で死ぬと宣言されたのです。いのちを捨 てて羊を救う良い牧者なのです。イエス様が私たちを愛しているからです。 イエス・キリストの十字架の死と復活によって罪の赦しを得、汚れを取り除かれた 私たちは御父の愛の中で日々生きられるようになりました。キリストと私たちの間 にいのちの関係が生まれたのです。それが永遠のいのちです。私たちは、キリスト の十字架の死を個人的に自分の罪ためだったと深く受けとめ、キリストに深い感謝 をささげげているのです。 祝福を祈ります。