今日の聖句 2月27日(金) 主は、いつくしみ深く、正しくあられる。それゆえ、罪人に道を教えられる。 詩篇25:8 あなたがたは信仰の弱い人を受け入れなさい。 その意見をさばいてはいけません。 ローマ14:1 ************************************* 今週のテーマ:み声を聞く者 きょうの聖書:ルカ15:11-32 ルカの福音書15章31節32節 父親は言った。「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部 お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなって いたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。」 「放蕩息子」 放蕩とは、酒色にふけって品行が修まらないこと(広辞苑)です。ルカの福音書 15章は、いなくなった一匹の羊、紛失した一枚の銀貨、いなくなっていた下の 息子の物語が書かれています。31節と32節は放蕩息子の物語の最後の部分で す。大事なものを紛失して、それを探し求め、終に再びそれらのものが手元に戻 ってきたときは安心と喜びが私たちの心に満ちるものです。 下の息子とは弟で、放蕩息子と呼ばれています。父親からもらったお金を無駄遣 いして一文無しになり、乞食同然の姿で実家に帰ってきました。父親は大いに喜 んで盛大な宴会を開きました。一方、兄は父親の弟への対応が気に入りません。 そういう兄の不平に答えた父親の言葉がこの31節と32節です。 無駄遣いという罪を犯して、乞食同然になり、行方知れずになっていた弟の身を 父親は案じていました。私たちも御父から離れて自己中心に生き、神様の愛の世 界から迷い出ていたのです。弟の姿は私たち罪人の姿を描いたものです。私たち がどんなに惨めな姿になっても、神様は私たちが神様の愛の世界に帰ってくるこ とを待ち続けていてくださるのです。 兄は、罪人である弟が父親の愛で包まれることが承伏できませんでした。弟を赦 せないのです。私たちも他の人の罪を指摘して「赦さない」ならば、この兄と同 じです。律法主義の中に陥っていることになります。御父である神様は今日も両 手を大きく広げて私たちを抱きしめて私たちの疲れた心を癒してくださいます。 祝福を祈ります。