今日の聖句1月11日(日) 主よ。お救いください。聖徒はあとを絶ち、誠実な人は人の子らの中から消え去 りました。 詩篇12:1 イエスは十二弟子に言われた。「まさか、あなたがたも離れたいと思うのではな いでしょう。」すると、シモン・ペテロが答えた。「主よ。私たちがだれのとこ ろに行きましょう。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます。 ヨハネ6:67-68 ************************************** 今週のテーマ:共に祈ろう きょうの聖書:ルカ18:1-14 ルカの福音書18章13節14節 取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言っ た。「神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。」あなたがたに言うが、 この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜな ら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるから です。 「憐れみを求める」 きょうの聖書でイエス様は、いつでも祈るべきであり、失望してはならないこと と、自分を低くすることの大切さを教えています。パリサイ人と取税人がイエス 様の見ている前で祈りましたが、パリサイ人の祈りは、自分がユダヤ教の律法を 守っていることを吹聴する祈りでした。 取税人の祈りは、罪深い自分に憐れみを求める祈りでした。パリサイ人も取税人 も共に神様の憐れみがなければ生きていけない罪人の立場です。パリサイ人より も取税人の方が自分の実情をわきまえているわけです。イエス様はこの二人のう ち取税人が神様から恵まれ、義と認められたと言っておられます。 イエス様は私たちにも、自分を神様に対して十分な人間であるとして高く評価せ ず、むしろ、神様に対して信仰と謙遜について不十分なものであるとし、低く評 価するように教えているのです。えてして、私たちは、自分を高く評価し、隣人 を低く評価する傾向があるので気を付けなければならないと教えられます。 私たちは自力では天の御国に入ることはできません。私たちが救われるか、否か は、神様の憐れみとイエス様の十字架の死と復活による贖いにかかっているので す。すでにイエス様は十字架の贖いを成し遂げられましたので、私たちは素直に 自分の罪を認めて、憐れみれみを乞うばかりになっているのです。 祝福を祈ります。