今日の聖句 11月6日(木) 私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。 いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか。 詩篇42:2 愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにさ れていません。しかし、キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者と なることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのまま の姿を見るからです。 Tヨハネ3:2 ************************************** 今週のテーマ:主の日 きょうの聖書:2テサロニケ1:6-10 手佐ロケ人への手紙第二1章7節 苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えてく ださることは、神にとって正しいことなのです。そのことは、主イエスが、炎の 中に、力ある御使いたちを従えて天から現われるときに起こります。 「主の日の安息」 初代教会の指導者たちは文字にも言葉にも言い表せないような苦しみを受けてい ました。教会とクリスチャンへの迫害はとても厳しくて、逮捕され、投獄され、 島流しにされ、処刑されました。パウロも獄死し、ペテロは逆さ十字架刑を受け たと言い伝えられています。火あぶりも、水没も、川流しもあったそうです。 そのような苦しみを受けていた人々が心の中に持っていた希望が、キリストの再 臨であり、キリストが天から再び降って来られる日には、反キリストの邪悪はキ リストによって討ち滅ぼされ、苦しめられているクリスチャンには報いとして安 息が与えられるという信仰でした。 この安息は、反キリストの邪悪が一掃されることによって、すべての人が御子と 御父の前に出て御名を褒め称えることができるようになるということであり、キ リストへの信仰を迫害されて、苦しみを受けている人々が、神様の御国の栄光を 喜び祝うことができるということです。 主の日を待ち望む祈りが私たちの信仰です。キリストの救いの力は完全なので、 救いを中途半端に終わらせるということはしないのです。今の時の苦しみは、私 たちの信仰を磨き上げるために神様から与えられている恵みなのです。キリスト の再臨の日に大声で感謝と賛美を献げるための準備なのです。 祝福を祈ります。