今日の聖句 10月10日(金) ダビデの死ぬ日が近づいたとき、彼は息子のソロモンに次のように言いつけた。 私は世のすべての人の行く道を行こうとしている。強く、男らしくありなさい。 1列王記2:1-2 主にあって受けた務めを、注意してよく果たすように。」と言ってください。 コロサイ4:17 *************************** 今週のテーマ:思慮深くあれ きょうの聖書:1テモテ3:2-5 テモテへの手紙第一3章3節4節 監督はこういう人でなければなりません。すなわち、非難されるところがなく、 ひとりの妻の夫であり、自分を制し、慎み深く、品位があり、よくもてなし、教 える能力があり、酒飲みでなく、暴力をふるわず、温和で、争わず、金銭に無欲 で、自分の家庭をよく治め、十分な威厳をもって子どもを従わせている人です。 「牧師の資格」 ここで言う監督とは、キリスト教会の指導者のことです。牧師とか長老と呼ばれ る人たちのことで、信仰の指導に当たる、とても重い責任を負う人です。ですか ら犯罪に手を染めるようなことで非難される人はこの職には就けません。一夫多 妻も否定されます。 自分の感情と行動を自分で制御できる自制のきく人であり、最上位に登ることは は決して望まない慎みを備えた人、服装態度、言葉遣いと生活態度においては品 位が求められています。上品であるということです。よくもてなすことのできる る人、つまり、自分の持っているもので喜んで相手の必要を満たす心のある人、 接する人をそらさない人とも言えます。 牧師にはどうしても教える能力が必要です。飲んだくれて暴力沙汰を起こすなど は論外です。怒鳴ったりすぐ喧嘩する人も不適格です。お金を貯めることに夢中 になるようでは教会の仕事はできません。家庭内の平和を維持し、子どもたちに はキリストに従わせることのできる人、そういうことを満たしている人を教会が 牧師に立てるようにしなさいと教えています。牧師になるには教会に支持される ことが必須ということです。 自分で勝手に、私が牧師になります、とは言えないということです。私は、ハッ キリと自分が牧師不合格であると認識しました。牧師の条件は一般の信者が守ら なければならないことばかりです。牧師でなければ守らなくて良い、というもの ではないのです。しかし、守りきれない中で神様の憐れみと信者さん達の寛容さ に支えられている私です。’m(_ _)m 祝福を祈ります。