今日の聖句8月16日(土) あなたの太陽はもう沈まず、あなたの月はかげることがない。 主があなたの永遠の光となり、あなたの嘆き悲しむ日が終わるからである。 イザヤ60:20 あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。 1テサロニケ5:5 ************************************* 今週のテーマ:新しくされる きょうの聖書:詩篇15:1-5 詩篇15篇2節3節4節 正しく歩み、義を行ない、心の中の真実を語る人。その人は、舌をもってそしら ず、友人に悪を行なわず、隣人への非難を口にしない。神に捨てられた人を、そ の目はさげすみ、主を恐れる者を尊ぶ。損になっても、立てた誓いは変えない。 「そしらない」 誰が神様の幕屋に宿り、誰が神様の聖なる山に住むのでしょう。それは、正しく 生きる人、義を行なう人、真実を語る人、人をそしらない人、悪を行なわず、隣 人を非難しない人、立てた誓いを変えない人、更に、金を貸しても利息を取らな い人、賄賂を取らない人だと続けて教えています。 結局、自分勝手で自分に利益があればそれで良いと考える自己中心な人は、その ような生活態度を悔い改めないと神の子クリスチャンとして生きることは難しい ということです。私は、日常的に人をそしり、人を非難して生きていました。そ れは私が神様の愛と神様の赦しを知らなかったからです。 私が繰り返し、繰り返し、懲りることもなく罪を犯しても、キリストは私に十字 架を示し続け、私をを避難せず、赦し続けてくださいました。赦され続ける生活 の中で、赦される幸いを味わい、赦すことの価値を知り、人生においては赦すこ とこそが最大の正義であると信じるようになれました。 これは、すべてイエス・キリストの十字架の死と復活によってもたらされたもの です。もし十字架がなかったならば、神様の愛が示されることも、神様による赦 しもこの世界に現わされることはなかったのです。私は主の祈りで、赦し合うこ とは、毎日の食事と同じくらい、私たちに必要なことだと教えられました。人を そしらないことです。 祝福を祈ります。