今日の聖句7月10日(木) 主は彼らの苦しみに目を留められた。主は、彼らのために、ご自分の契約を思い 起こし、豊かな恵みゆえに、彼らをあわれまれた。 詩篇106:44 神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせ るようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練ととも に、脱出の道も備えてくださいます。 1コリント10:13 ************************************* 今週のテーマ:新しい自由 きょうの聖書:ガラテヤ5:4-8 ガラテヤ人への手紙5章4節5節6節 律法によって義と認められようとしているあなたがたは、キリストから離れ、恵 みから落ちてしまったのです。私たちは、信仰により、御霊によって、義をいた だく望みを熱心に抱いているのです。キリスト・イエスにあっては、割礼を受け る受けないは大事なことではなく、愛によって働く信仰だけが大事なのです。 「信仰だけ」 律法主義という言葉があります。ユダヤ教の律法を行なうことによって、神様か ら義と認められよう、という考え方です。その代表的なものは、割礼を受けると いうことです。ガラテヤ教会にはユダヤ人クリスチャンによってこの律法主義が 持ち込まれてしまいました。形式的に規則を守ることは、救いにはつながりませ ん。むしろ人に苦しみを被せることになりかねません。 私たちは、イエス・キリストの十字架の死によって神様から罪を赦され、復活し たキリストによって神の子とされて天の御国への道を歩んでいます。律法を行な って救われたのではありません。キリスト教会にはユダヤ教の割礼の制度はない のです。異端の多くは律法主義を採用しています。指導者の命令に従うことが強 勢されるからです。 しかし、個人的には、律法主義的になることはあります。律法的という言い方を します。ルールを守らなければ救われないという考えです。教会にも様々なルー ルがありますし、社会にも法律があります。ルールや法律は秩序をま守るために 存在するのであって、救いの確信を与えるためではありません。 もう一つは、善い行ないを行なえば(気持ちが良いので)義とされて救われると 考えることです。善行はとても大事なことですが、それ自体は人を救いません。 罪人である私たちが、キリストの十字架によって救われて、善行を励み、ルール も尊重できるようになるのです。愛によって働く信仰だけが大事なのです。 祝福を祈ります。