今日の聖句7月6日(日) 神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。 そこで、人は、生きものとなった。 創世記2:7 神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。 使徒17:25 ************************************* 今週のテーマ:新しい自由 きょうの聖書:1コリント1:26-31 コリント人への手紙第一1章27節28節29節 神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をは ずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。また、この世の取るに足 りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない 者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。これは、神の御前でだ れをも誇らせないためです。 「生かされている」 多くの人が自分に知恵がないこと、愚かであること、そして弱いことを恥ずかし く思っているかも知れません。自分が取るに足りない者であることで涙を流し、 見下されたことで怒りや反発も感じてきたかも知れません。自分が無力であるこ とからは一生逃れられないものと絶望していたかも知れません。 しかし、キリストは多くの有能な人々がいる中から、そういう私たちを選んで神 様の救いに入れて下さいました。私たちは、この尊い救いが自分の力や能力によ ったものではないことを十分に知っています。そして、今は、自分が無力なもの として生まれたことを感謝できるほどにされているのです。 何処の世界でもおごり高ぶることは禁物です。かといって、謙遜になろうと思っ ても上を目指そうという気持ちは私たちから離れることはありません。謙遜と高 慢の間で揺れている私たちです。その揺れの中で、自分が救われたことの経緯を 考えてみると、神様の前でも人々の前でもどうしても自分を誇ることができない のです。 私は始めてこのみことばを見たとき、無知で愚かで弱い自分にも先行きの光があ ると感じて希望を持ちました。教会とは、自分にはここに在籍する資格がないと 思う人に在籍する資格がある世界でただ一つの場所である、という意味の言葉を 読んだことがあります。キリストが私たちに生きる空間を保証してくださったの で、生かされていると実感しています。 祝福を祈ります。