今日の聖句6月5日(木) 東が西から遠く離れているように、私たちのそむきの罪を私たちから遠く離され る。 詩篇103:12 おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。そして歩いたり、はねたりしなが ら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮にはいって行った。 使徒3:8 ************************************* 今週のテーマ:主の愛にとどまる きょうの聖書:イザヤ25:6-8 イザヤ書25章7節8節 この山の上で、万民の上をおおっている顔おおいと、万国の上にかぶさっている おおいを取り除き、永久に死を滅ぼされる。神である主はすべての顔から涙をぬ ぐい、ご自分の民へのそしりを全地の上から除かれる。主が語られたのだ。 「カルバリ山」 これはイザヤの祈りであり、又、イザヤを通して語られた神様からのメッセージ でもあります。この山とは、エルサレムのことです。キリストがエルサレムのカ ルバリ山で十字架にかかり、復活し、オリーブ山から昇天し、天から聖霊を降し て全世界を救うという神様のご計画が預言されているのです。 イエス・キリストによって私たちの顔おおいは取りのけられ、御父のみ顔を拝し て礼拝できるようになりました。死は、神様からの刑罰です。死が滅ぼされたと いうことは、神様の刑罰が廃止されたということです。私たちは何者によっても 妨げられることなく、御父の愛の中で生きていけるのです。 万民という言葉が使われています。全世界のすべての国民のことであり、全人類 のことです。神様の愛の注ぎを受けられないという人は一人もいないということ です。神様の愛から遠ざけられていた人がみな神様の愛の世界に招き入れられる ということです。例外がないのです。 私たちは時として変な疎外感に包まれることがあります。自分の祈りは神様に退 けられるのではないかとか、私だけは赦されないのではないかとか思ってしまう ということです。疎外感に包まれるすべての人の心をほどき、愛で溶かしてくれ るのがキリストの十字架なのです。カルバリ山で示された神様の愛です。 祝福を祈ります。