今日の聖句4月18日(金) 主よ。まことにあなたはいつくしみ深く、赦しに富み、あなたを呼び求めるすべ ての者に、恵み豊かであられます。 詩篇86:5 イエスは大声で叫んで、言われた。「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」こう言 って、息を引き取られた。 ************************************** 今週のテーマ:十字架 きょうの聖書:イザヤ53:4-9 イザヤ書53章4節5節 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思 った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たち のそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らし めが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。 「予告されていた十字架」 この聖句に五回出てくる彼とは、キリストのことです。キリストとはユダヤの言 葉ではメシヤです。それは救世主という意味です。イザヤはイエス・キリストが 生まれる695年ほど前に死にました。イザヤはキリストを知らないはずでが、 神様はイザヤにキリストの登場と、キリストの働き、キリストの死に方を予告し ていたのです。 イザヤは現代のクリスチャンと同程度に、キリストが私たちの罪を肩代わりし、 私たちの罪のために死なれるという意図を理解し、その実像を知っていました。 神様はご自分のなさることを人間がよく理解して受け入れることができるように 予め説明される御方なのです。私たちも自分がしようとしていることを家族や仲 間に知らせています。それで平和に暮らせるのです。 私たちの罪とは「自分勝手な生き方」を指しています。自己中心な生き方という ことです。私たちは概ね自分勝手に生きています。イザヤは「私たちはみな、羊 のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った」と表現してい ます。私たちの身勝手さが神の御子キリストを十字架につけたのです。 私たちは勝手に造り主である神様から離れ、神様の愛の手を振り切り、幸福への 道を失ってしまったのです。しかし、神様は御子イエス・キリストを十字架で殺 し、三日目に復活させるという大技で私たち人間を神様に注目させ、復活したキ リストの力で私たちを神様の愛の懐に連れ戻してくださったのです。今日が受難 日です。 祝福を祈ります。