今日の聖句4月6日(日) 正義と公義を行なうことは、いけにえにまさって主に喜ばれる。 箴言21:3 父なる神の御前できよく汚れのない宗教は、孤児や、やもめたちが困っていると きに世話をし、この世から自分をきよく守ることです。 ヤコブ1:27 ************************************** 今週のテーマ:身をささげる きょうの聖書:ヘブル10:1-7 ヘブル人への手紙10章4節5節6節 雄牛とやぎの血は、罪を除くことができません。ですから、キリストは、この世 界に来て、こう言われるのです。「あなたは、いけにえやささげ物を望まないで わたしのために、からだを造ってくださいました。あなたは全焼のいけにえと罪 のためのいけにえとで満足されませんでした。 「キリストの献身」 ユダヤ教では毎年一回大祭司によってエルサレム神殿で全国民のために罪の赦し を求めて神様に犠牲を献げる礼拝をしていました。又、個人個人でも旧約聖書の 規定によって罪のためのなだめの供え物として牛、羊、山鳩などが献げられてい ました。 しかし、そもそも牛や羊が犠牲にされても人間のたましいがきよめられるはずは ありません。動物を犠牲にすることは、いずれ、後の日に救い主が現われて真の 意味での犠牲となることを予告する行事だったのです。年ごとの犠牲は、ユダヤ の人々の心をなごませるどころか、かえって、不従順と罪とを思い起こさせたの です。 イエス様が肉体を持ってお生まれになったのは、私たちを救うために自分自身の 身体を神様に犠牲として献げるためだったのです。5節の「わたしのために、か らだを造ってくださいました」とはそういう意味なのです。イエス様は文字通り 「身をささげ」て救いを完成させてくださいました。 私たちの苦しみは、神様と共に生きるために神様の似姿に造られたのに、神様の 実在も知らず、神様を礼拝するということができないことでした。神様の愛を感 じることすらできなかったのです。しかし、キリストの身代わりの死を通して、 私たちは御父を礼拝し、御父の愛に包まれて生きることができるようになったの です。 祝福を祈ります。