今日の聖句4月5日(土) わたしが疲れたたましいを潤し、すべてのしぼんだたましいを満たすからだ。 エレミヤ31:25 あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の 栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみの あとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。 1ペテロ5:10 ************************************* 今週のテーマ:神のさばき きょうの聖書:マルコ12:28-32 マルコの福音書12章29節30節31節 イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。 われらの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽 くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』次にはこれです。『あなた の隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにあり ません。」 「一番たいせつ」 ある律法学者がイエス様に「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか」 と質問して、イエス様が答えた言葉がきょうの聖書です。全力を尽くして神を愛 し、人を愛せとというみことばを示されました。申命記6章4節と5節です。神 様を愛せず、人々を愛せないということの背後には、自己中心という大きな問題 があるのです。 イエス様は、全力で神様と人々を愛すなら、その人は聖書に適ったきよい人であ ると言われたのです。神を愛し人を愛すという二つの戒めは聖書全体の教えを要 約しているものだからです。聖協団の理念は「愛と宣教による建て上げ」ですが その冒頭にあるのが「愛」です。 私たちの生活を愛にてらし、日々の決断と選択をこの基準に合わせ、言動の一つ 一つをこの戒めに従わせるなら律法を満たす人生を生きていると言えるのですが 現実には容易いことではありません。むしろ、神を愛せず、人を愛せない自分に 絶望するのみです。 パウロはローマ3:23で「人が義と認められるのは、律法の行ないによるのではな く、信仰によるというのが、私たちの考えです」と言い切っています。イエス様 はご自分が十字架にかかることによって、神様への愛と人々への愛を完遂しまし た。私たちはこのキリストの十字架を信じることによって、律法を全うした者と 見なしてもらえるのです。ここに救いがあるのです。 祝福を祈ります。