今日の聖句 2月20日(木) 年老いて、しらがになっていても、神よ、私を捨てないでください。私はなおも あなたの力を次の世代に、あなたの大能のわざを、後に来るすべての者に告げ知 らせます。 詩篇71:18 アセル族のパヌエルの娘で女預言者のアンナという人がいた。この人は非常に年 をとっていた。処女の時代のあと七年間、夫とともに住み、その後やもめになり 八十四歳になっていた。そして宮を離れず、夜も昼も、断食と祈りをもって神に 仕えていた。ちょうどこのとき、彼女もそこにいて、神に感謝をささげ、そして エルサレムの贖いを待ち望んでいるすべての人々に、この幼子のことを語った。 ルカ2:36 ************************************* 今週のテーマ:愛のおきて きょうの聖書:ルカ7:36-43 ルカの福音書7章41節42節43節 「ある金貸しから、ふたりの者が金を借りていた。ひとりは五百デナリ、ほかの ひとりは五十デナリ借りていた。彼らは返すことができなかったので、金貸しは ふたりとも赦してやった。では、ふたりのうちどちらがよけいに金貸しを愛する ようになるでしょうか」シモンが「よけいに赦してもらったほうだと思います」 と答えると、イエスは、「あなたの判断は当たっています」と言われた。 「罪の深さと愛の深さ」 より深くキリストを愛す人とはどのような人物でしょうか。それはより多くの罪 を赦された人です。自分の罪深さを重々思い知った人が罪を赦された場合は、自 分の罪を軽く考えていた人が罪を赦された場合より、赦してくださったキリスト を深く愛すようになるのです。 パウロはローマ5章20節で「罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれま した」と述べています。罪の増加とは、罪の分量が増えるのではなく、罪の認識 が深まることです。それは、自分の犯した罪の重さを知ることでもあります。自 分が罪人であると自覚して苦しんだ人は、イエス・キリストの十字架による赦し がとても嬉しいのです。 私たちの罪認識には様々な段階があります。公の法律や条令に違反した場合。道 徳やマナーに違反した場合。そして、神様への反逆という罪を犯した場合。どれ も罪であり、謝罪と償いをする必要ががあります。公の法律に違反しても、裁判 で無罪を主張する人がいます。道徳違反や神様への反逆は警察の取り締まりを受 けないので、罪と感じる人は少ないのです。 そういう話の中で、自分が自己中心という罪を犯している罪人だと気づくと、そ の罪の解決策が見つからないためにとても苦しみます。自己中心はすべての罪の 根源なのです。その罪の根をキリストによって処理され、罪の根から解放された 人の喜びはとても大きいので、キリストへの愛はとても大きくなります。キリス トの救いは自己中心からの解放なのです。 祝福を祈ります。