今日の聖句 1月13日(月) 天の王を賛美し、あがめ、ほめたたえる。そのみわざはことごとく真実であり、 その道は正義である。また、高ぶって歩む者をへりくだった者とされる。 ダニエル4:37 あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。 神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。 1ペテロ5:6 ************************************* 今週のテーマ:洗礼を受ける きょうの聖書:マタイ18:1-5 マタイの福音書18章3節4節 まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのように ならない限り、決して天の御国には、はいれません。だから、この子どものよう に、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。 「自分を低くする者」 イエス様は十字架で死んで、埋葬され、三日目の朝よみがえりました。これが福 音の中核です。私たちがキリストに従うクリスチャンとなって生きていくために は、イエス様と同じように、罪人である過去の自分は死に、神の子として新しく 生まれた私たちになっていく必要があります。 洗礼とは、罪人である過去の私たちが水没して、神の子である新しい私たちが水 の中からキリストと共に生きるいのちの世界に復活するという儀式です。水の下 に入るほどの自分を低くする儀式と言い換えられるかも知れません。水を被った ら神の子になるのではなく、神の子にされた証しとして洗礼を受けるのです。 形式的な悔い改めは救いには直結しません。イエス・キリストが永遠の愛をもっ て十字架の死と復活によって私たちの罪を赦し、救ってくださったという事実を 素直に受入れることが先決です。この十字架に現わされた神様の愛が私たちの心 に染み込むときに、私たちは始めて自分の形式的生き方を罪として悔い改めがで きるのです。 形式的なだけの生き方、見せかけだけの正義などは自己中心から出てきます。神 様の愛で私たちの冷たい心が氷解するとき、私たちは神様に対しても人々に対し ても、子どものように自分を低くすることができるのです。そして、謙遜と従順 という点においてキリストに似たものとして生きていけるわけです。 祝福を祈ります。