今日の聖句 9月24日(火) あなたは『私には罪がない。確かに、御怒りは私から去った』と言っている。『私 は罪を犯さなかった』と言うから、今、わたしはあなたをさばく。 エレミヤ2:35 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔 い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。 ルカ15:7 ************************************* 今週のテーマ:目を覚ましている きょうの聖書:マタイ24:36-44 マタイの福音書24章36節37節 その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知り ません。ただ父だけが知っておられます。人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日 のようだからです。 「再臨への期待」 再臨が何時であるかはわからない方が良いのです。もし年月日がわかっていたら、 再臨の前日に悔い改めて、キリストに赦しを求めればそれで良い、ということにな ってしまうかも知れません。でもそれは本末転倒です。再臨は世間の人々を脅すた めにあるのではないのです。 私たちが日常を正しく生きることが必要なのであって、再臨の前日まで不道徳に生 きて、再臨の前に悔い改めて救われるというのは、電車のキセル乗車のようなもの で、元来、赦されてはならないことです。私たちは、陰でこそこそ生きる生き方に はうんざりして、悔い改めてクリスチャンになっているのです。 常日頃、正しく生きている人が、再臨に際して、キリストから褒められるのです。 そういう人は、人間的な褒美や、人間的な賞賛は求めず、唯、天の御国でキリスト から善良な人生を認められるだけで十分な喜びを得られる人々であるわけです。私 たちはキリストの愛によって救われたのです。この点はいつも明確にされている必 要があります。 私たちには、再臨によって咎められるかも知れないという不安はありません。再臨 によって、世界がキリストの愛と真実によってきよめられ、一つにされることを祈 り待ち望んでいるのです。一人でも多くの人が感謝と喜びでキリストの再臨の日を 迎えられるようにするのが私たちに与えられている使命です。 祝福を祈ります。