今日の聖句 9月20日(金) わたしはイスラエルには露のようになる。彼はゆりのように花咲き、ポプラのよう に根を張る。 ホセヤ14:5 ゆりの花のことを考えてみなさい。どうして育つのか。紡ぎもせず、織りもしない のです。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、 このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。 ルカ12:27 *********************************** 今週のテーマ:主を知ること きょうの聖書:ガラテヤ4:8-11 ガラテヤ人への手紙4章8節9節10節 しかし、神を知らなかった当時、あなたがたは本来は神でない神々の奴隷でした。 ところが、今では神を知っているのに、いや、むしろ神に知られているのに、どう してあの無力、無価値の幼稚な教えに逆戻りして、再び新たにその奴隷になろうと するのですか。あなたがたは、各種の日と月と季節と年とを守っています。 「神の子です」 パウロは、以前異教徒であったガラテヤ人に対して語っています。ユダヤ人が律法 の教えの奴隷であったように、ガラテヤ人たちも異教の教えと儀式の奴隷になって いました。これは、日本人である私たちであれば、容易に理解できることです。現 代では、富や名誉、地位や快楽などが偶像となって多くの人を束縛しています。 ガラテヤ人たちは、神を知ることにより、そのような異教を捨て去りました。キリ ストにあって自由にされました。しかし、偽教師たちがガラテヤなどの教会に入り 込み、モーセの律法を守らなければ救われないと教えたのです。その教えを受け入 れて、彼らはさまざまなユダヤ教の律法の儀式を行ない始めたのです。 律法主義的な生き方はどこにでも潜り込みます。形を優先する余りに、形だけの信 仰に陥りやすいということです。色々な場合に形から入るという考え方もあります が、私たちの信仰と救いについては、イエス・キリストの十字架と復活に原点があ るということは決して忘れてはならならないことです。 私たちが神様にお仕えする動機は、ただ神様を愛する愛からです。律法的に動いて しまうという、ガラテヤ人たちのような逆戻りはするな、という警告を受けたよう に思います。私たちは誰に対しても強制はせず、又、誰からも強制をされることの ない、神の子にされているのです。今日も一日、キリストへの感謝と喜びで生きて いきましょう。 祝福を祈ります。