今日の聖句 9月2日(月) わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを確かに見、追い使う者の前の彼ら の叫びを聞いた。 出エジプト 患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を 生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。 ローマ5:3-5 ************************************* 今日のテーマ:主のいやし きょうの聖書:マルコ3:1-5 マルコの福音書3章5節 イエスは怒って彼らを見回し、その心のかたくななのを嘆きながら、その人に、 「手を伸ばしなさい。」と言われた。彼は手を伸ばした。するとその手が元どお りになった。 「怒りと癒し」 このことがあった時、既に、ユダヤ教の指導者はイエス様を排除しようとしてい ます。彼らは、イエス様の行う奇跡や、イエス様の教えに反対しています。イエ ス様の名声が上がってしまったからです。イエス様の活動が宗教指導者たちの地 位、名誉や金銭的利益などの利権を脅かすと受け止められたのです。 宗教指導者たちの関心は人々の心を御父に結びつけることにはなく、彼らはユダ ヤ教の宗教制度の上にあぐらをかいて、生活の安泰を計っているのです。自分の 立場を犠牲にできないわけです。私たちがより良いクリスチャンになれるかどう かも、自分の名誉や立場を犠牲にできるかどうかにかかっています。 イエス様はそういう指導者たちの悪い態度(2節)に対して怒りを示したのです。 私たちは怒りによって破壊的な言動に走ることがありますが、イエス様はその怒 りで手の萎えた人の手を伸ばしました。手の萎えた人の手を、本来の在るべき姿 に戻したのです。これがイエス様の怒りの表し方であり、裁き方です。 何に対して怒るのか、その怒りをどう処理するのか、それが問題です。私たちは 自己中心であるために、怒りを向ける方向を間違えてしまい、怒りの処理方法も 間違えてしまうのです。私たちも怒りを、人々を中傷することよりも建設的な解 決策に向ける努力が必要です。 祝福を祈ります。