今日の聖句 8月30日(金) 来たれ。ヤコブの家よ。私たちも主の光に歩もう。 イザヤ2:5 曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばを しっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。 ピリピ2:15-16 ************************************* 今週のテーマ:主に仕える人 きょうの聖書:2列王記1:1-17 列王記第二1章13節14節 王はまた、第三の五十人隊の長と、その部下五十人を遣わした。この三人目の五 十人隊の長は上って行き、エリヤの前にひざまずき、懇願して言った。「神の人 よ。どうか私のいのちと、このあなたのしもべ五十人のいのちとをお助けくださ い。ご承知のように、天から火が下って来て、先のふたりの五十人隊の長と、彼 らの部下五十人ずつとを、焼き尽くしてしまいました。今、私のいのちはお助け ください。」 「本来の在り方」 私はこの頃、「本来の在り方」と言うことを考えています。ものを考えたり判断 を下すときに、本来ならどうするべきか、あるいは、本来ならどうあるべきかと 考えるようになったということです。自分の都合や特殊な状況の中で判断に迷う ことがあるのですが、そういうときに本来ならどうなのかと考えるということで す。 きょうの聖書:では悪王アハブの死後、王位を継いだアハズヤが屋上の部屋の欄 干から落ちて病気になり、使者たちを遣わし「行って、エクロンの神、バアル・ ゼブブに、私の病気が直るかどうか、伺いを立てなさい」と命じたということで すが、本来なら、主なる神様に癒しを願うべきだったのです。エリヤを呼んで祈 ってもらうこともできたのです。 その様子を聞いてエリヤは、神様に頼らないアハズヤはその病気が癒えず、その まま死ぬと告げました。アハズヤはエリヤを捕らえようと三度に渡って軍隊を派 遣しました。初めと二度目は隊長が王の権威を笠に着て、神様を敬う姿勢を見せ なかったので、天からの火で滅ぼしました。 三度目の隊長は地にひざまずいて神様に救いを求めたので助かっています。初め の二人の隊長も本来なら地にひれ伏して神様に赦しを乞い、助けを求めるべきだ ったのです。私たち人間は、すべて造り主である神様を礼拝し、神様に助けを求 めて生きていくべきなのです。それが、造られた人間の造り主に対する本来の姿 勢であるわけです。良い人生は神様に対する正しい態度から始まるのです。 祝福を祈ります。