今日の聖句 8月27日(火) 私たちの助けは、天地を造られた主の御名にある。 詩篇124:8 イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべ てが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白し て、父なる神がほめたたえられるためです。 ************************************** 今週のテーマ:主に仕える人 きょうの聖書:1列王記18:41-46 七度目に彼は、「あれ。人の手のひらほどの小さな雲が海から上っています」と 言った。それでエリヤは言った。「上って行って、アハブに言いなさい。『大雨 に閉じ込められないうちに、車を整えて下って行きなさい。』」しばらくすると 空は濃い雲と風で暗くなり、やがて激しい大雨となった。アハブは車に乗ってイ ズレエルへ行った。 「用いられやすい人」 エリヤの祈りが天に届いて、大雨が降ったわけですが、この出来事の前に、「火 をもって答える神、その方が神である」ということでバアルの予言者が朝から昼 迄祈ったけれども火は降らず、エリヤが祈ると「主の火が降って来て、全焼のい けにえと、たきぎと、石と、ちりとを焼き尽くし、みぞの水もなめ尽くしてしま った」ということがありました。 民がみなこれを見、ひれ伏し「主こそ神です。主こそ神です」と言った後、エリ ヤはバアルの予言者をキション川で打ち殺しました。エリヤはすかさずアハブに 「(カルメル山に)上って行って飲み食いしなさい。激しい大雨の音がするから」 と言います。エリヤはカルメル山の頂上に登り、地にひざまずいて自分の顔をひ ざの間にうずめて降雨を祈りました。 火を降らせるのも、雨を降らせるのも神様の恵深い御業です。偶像にはそういう 力は全くありません。神様はエリヤの祈りを用いてご自身こそが人々から礼拝さ れる唯一の神であることを立証されたのです。エリヤの時代に天から降された火 と雨は、今は、恵の聖霊として私たちの頭上に日々注がれています。 エリヤの祈りは何故用いられたか、それはエリヤが若い日から常に一歩一歩神様 に従い続けた結果なのです。エリヤは神様の御指図に決して「否」と言わない人 だったのです。決断できずに迷って、時間が掛かっても最後にはエリヤは神様に 従ってみこころを行っていました。私たちも神様から頂く導きにしっかりと従う ときに、神様にとっては用いやすい人になっていけるのです。 祝福を祈ります。