今日の聖句 8月12日(月) わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。 あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。 ヨブ38:4 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。こ の方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。 造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。 ヨハネ1:1-3 ************************************** 今週のテーマ:公平と正義 きょうの聖書:イザヤ5:1-7 イザヤ書5章7節 まことに、万軍の主のぶどう畑はイスラエルの家。ユダの人は、主が喜んで植え つけたもの。主は公正を待ち望まれたのに、見よ、流血。正義を待ち望まれたの に、見よ、泣き叫び。 「理性と良心」 神様はアブラハムを全世界の祝福の基として選びましたが、その子孫であるイス ラエルはアブラハムの信仰と祝福を受け継ぎませんでした。神様はイスラエルに 慈愛と憐れみを注ぎ続けましたが、イスラエルは神様を捨て、偶像礼拝に走り、 国内は流血と泣き叫びだけが残ることになったとイザヤは言っています。 3節で「エルサレムの住民とユダの人よ、さあ、わたしとわがぶどう畑との間を さばけ」と、この結果を招いた責任は神様にあるのか、それともイスラエルにあ るのかよく考えてみるようにと促しています。そもそも、神様は人間を神様のお 姿に造ったのですが、人間社会は神様には似ても似つかぬものになってしまった のです。 神様は人間を造ったときに、人間に理性と良心と神様を認識する機能を持たせて います。理性は公平を維持し、良心は正義を求める心です。ところが偽神である 偶像に心が向くと、神様から頂いた理性と良心が歪んでしまうのです。人格の歪 みとも言えるかも知れません。 ヘブル9:14 に「まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によっ て神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行 いから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう」とあります。私たち はキリストの十字架によって御父の元に立ち帰り、理性と良心をきよめられ、公 平と正義に生きられるようになるのです。 祝福を祈ります。