今日の聖句 8月8日(木) シオンの娘よ。喜び歌え。楽しめ。見よ。わたしは来て、あなたのただ中に住む。 ゼカリヤ2:10 これらのことをあかしする方がこう言われる。「しかり。わたしはすぐに来る。」 アーメン。主イエスよ、来てください。 黙示録22:20 ************************************** 今週のテーマ:地上に平和を きょうの聖書:エペソ2:11-22 エペソ人への手紙2章14節15節16節 キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成 り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新し いひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、また、両者を一つのから だとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬 り去られました。 「補い合って生きる」 キリストが救いのみ業を成し遂げる前は、ユダヤ人と異邦人は互いにかけ離れた存 在でした。それで、キリストはユダヤ人と異邦人の間にあった、隔ての壁を打ちこ わして両者の間の敵意を廃棄しました。ユダヤ教の律法がユダヤ人と異邦人を分離 していたので、その律法を廃棄したというのです。 つまり、私たち異邦人はユダヤ教の律法による制限を受けずにイエス・キリストの 十字架と復活の力によって救われ、ユダヤ人も同じようにユダヤ教の束縛から解放 されてイエス・キリストの十字架と復活によって救われたので、ユダヤ人と異邦人 の間にあった敵意もなくなってしまっていると言っているのです。 キリスト教会は、ユダヤ人と異邦人によって構成されているキリストの体であり、 そこには和解があり、融和と一致が成立しているのだと教えています。キリスト教 会には、そこにいる人々の中に誰一人疎外感を抱く人があってはならないのです。 私たちは、教会に足を踏み入れる人が、場違いなところに来てしまったと思わない ように気をつける必要があります。 今も昔も、多くの人が孤立し、敵意と孤独感に悩まされながら生きています。教会 が人々に提供できる大きな賜物は、教会に与えられたキリストの平和であり、共に 尊敬の心で愛し合い、労り合って生きていく生き方なのです。キリストは私たちの 不足を決して追求しません。むしろ満たしてくださるのです。私たちもお互いに補 い合って生きていくことを心がけていきたいですね。 祝福を祈ります。