今日の聖句 8月2日(金) わたし、主は、それを見守る者。絶えずこれに水を注ぎ、だれも、それをそこな わないように、夜も昼もこれを見守っている。 イザヤ27:3 平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主 イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの 霊、たましい、からだが完全に守られますように。 1テサロニケ5:23 ************************************* 今週のテーマ:回心 きょうの聖書:エレミヤ31:27-30 エレミヤ記31章29節30節 その日には、彼らはもう、『父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く。』 とは言わない。人はそれぞれ自分の咎のために死ぬ。だれでも、酸いぶどうを食 べる者は歯が浮くのだ。 「自分の責任」 昔、ユダヤの国には、自分が苦しみに遭うのは父祖が犯した罪のためであると考 える人がいました。同じように、日本にも自分の不幸の原因は先祖の罪だと考え る人がいます。それで追善供養などという行事があるのです。人が犯した罪が他 の人に悪影響を及ぼすということはあります。 しかし、ここの聖書箇所では、人が不幸になるのはその人自身に責任があるとい うことが語られているのです。自分に責任がない場合は、自分が困る、というこ とはないのです。自分の犯した罪に対して責任が追及されるということで私たち は困るのです。空に向かって唾を吐くとその唾は自分の顔面に落ちてきます。 テレビで報道される国際問題でも、何か事件が起こると相手の国に説明を求める ということが言われます。私たちが人々から説明を求められて、答えられないと いうことではなりませんが、神様から責任を追及された場合、どのような言い開 きができるのでしょうか。 ですから、責任、という声が出る前に、自分から進んで問題を処理することが必 要なのです。それが信仰生活の中では、神様の御前での告白ということになり、 悔い改めてキリストの十字架による赦しを受けるということなのです。神様には 隠し事はできないからです。 祝福を祈ります。