今日の聖句 6月1日(土) 天は煙のように散りうせ、地も衣のように古びて、その上に住む者は、ぶよのよ うに死ぬ。しかし、わたしの救いはとこしえに続き、わたしの義はくじけないか らだ。 イザヤ51:6 私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とと もにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。」 黙示録21:3 ************************************* 今週のテーマ:教会の交わり きょうの聖書:1ヨハネ3:13-18 ヨハネの手紙第一3章16節17節 キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによ って私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを 捨てるべきです。世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみ の心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう。 「愛の行動」 私も、人生は愛が大事です、というセリフをあざ笑っていました。愛などという ものは風が吹けば飛んでしまう枯れ葉のようなものだと信じていました。しかし 聖書を読み、キリストの死の意味を教会で教えられ、現実に神様との和解を与え られたときにはその愛の大きさに驚愕したのです。 愛の力を知って、過去の人生を考え直してみたら両親はじめ家族や友人、多くの 人々の愛に支えられて生きて来られたのだといういうことに気づくことができた のです。気づきはしても、自分の意見や考えを押し通すことを棄てて、相手の立 場を尊重するというところへはナカナカ到達していけませんでした。 きょうの聖書:は、愛を行動に移すように私たちに迫っています。口先だけの愛 は幼児にさえすぐに見破られます。衣食住に困っている人を見て、何の助けもし ないということでは「愛」を口にすることはできません。強引な弁論で相手の意 見をたたき伏せるというようなことは福音の証にはならないのです。 キリストを信じて赦しを得、御父を礼拝できるようになったというとろろで止ま ってしまってはいけません。更にそこから立ち上がってキリストの愛を人に伝え るキリストの弟子として生きていくことが私たちに求められているということで す。キリストの愛と救いを私たちの愛の行動によって現わしていきましょう。 祝福を祈ります。