今日の聖句 5月17日(金) 主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、たましいの砕かれた者を救われる。 詩篇34:18 ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をた たいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』 ルカ18:13 ************************************** 今週のテーマ:主のいましめ きょうの聖書:1ヨハネ2:7-11 ヨハネの手紙第一2章10節11節 兄弟を愛する者は、光の中にとどまり、つまずくことがありません。兄弟を憎む 者は、やみの中におり、やみの中を歩んでいるのであって、自分がどこへ行くの か知らないのです。やみが彼の目を見えなくしたからです。 「存在祝福」 私がイエス・キリストを信じて救われたとき、心に実感として与えられたことは イエス・キリストが濱野好邦の生存を祝福している、というものでした。俺は生 まれてはならない人間なのか、生きていてはいけない存在なのか、ということが 心の中で問題になっていたのですが、キリストへの信仰はこの問題を全く吹き飛 ばしてしまいました。 人を憎むということは、人の存在を呪うということで「シッ。シッ。」と気持ち の悪い虫を追い払うように「お前はあっちへ行け、ここにいるな」と叫ぶような ことだと思います。何時追い払われるのかという不安や、いつか追い払ってやろ うかという敵意の中で生きることほどつまらない人生はありません。 「私はキリストと人々の愛の中で生きています。あなたもキリストと人々の愛に 包まれて幸せに生きていてください」と願う、相手の存在を祝福する気持ちがあ れば良いのだと思います。イエス様は「わたしがあなたがたを愛したように、そ のように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」と教えています。 キリストから愛されている愛、キリストから自分の存在を祝福されているという こと、いてくれてありがとうという気持ち、このようなことを大事なこととして 生きていく生き方が求められているのだと思います。私にとってはこのメールを 読んでくれる人がいるということが大きな喜びなのです。 祝福を祈ります。