今日の聖句 5月12日(日) 彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。 イザヤ53:12 イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているの か自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。 ルカ23:34 ************************************* 今週のテーマ:主のいましめ きょうの聖書:ヨハネ9:1-12 ヨハネの福音書9章2節3節 弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついた のは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」イエスは 答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざが この人に現われるためです。・・・」 「未来へ目を向けること」 イエス様と一行が道を歩いていたときに、生まれつきの盲人に出会いました。弟 子たちは「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。 この人ですか。その両親ですか」と問います。何か特別に悪いことがあると、過 去の行状に原因があるのではないかと反省したり振り返ってみるというのが普通 の考え方だと思います。過去の罪が祟って病気になったのかという発想です。 イエス様の答えは「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神の わざがこの人に現われるため」という未来への神様のご計画があるためだという ものでした。エレミヤは「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知 っているからだ。それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなた がたに将来と希望を与えるためのものだ」と言っています。(29:11) 「神のわざがこの人に現われる」と未来に目を向けておられるイエス様であり、 私たちの目を未来に向けさせてくださるイエス様の教えです。今は盲目という辛 い境遇だが、イエス・キリストとの出会いはこの盲人の未来に光をもたらす、と 将来の希望が述べられています。障害を持って生まれることを本人や両親の罪の せいにしてはいけないといういましめです。 子どもの頃、私のお祖母さんは私が転んでタンコブなどを作ったりすると「でか した、タンコブの分だけ大きくなった、おまえはそこから大きくなる」と褒めて くれました。大きくなれるという将来の希望が与えられて、嬉しくなるというか 慰められたいうか、不思議に涙が引いてしまったということを思い出しました。 未来へ目を向けることって大事なんですね。 祝福を祈ります。