今日の聖句 4月25日(木) 主は、私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。主は、私のいのちのとりで。 だれを私はこわがろう。 詩篇27:1 イエスは言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」 マタイ8:26 ************************************ 今週のテーマ:キリストの主権 きょうの聖書:黙示録7:9-17 ヨハネの黙示録7章9節10節 その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも 数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と 小羊との前に立っていた。彼らは、大声で叫んで言った。「救いは、御座にある私 たちの神にあり、小羊にある。」 「救いの主権」 人を悩ませ、人を苦しめるのは人が犯した罪の意識です。罪を犯さない人には罪責 感という苦悩はありません。人間には誰にでも良心がありますので、罪を犯せばそ の人の良心がその人を咎めるのです。個々人の心の中のことですから、家族であっ ても解決できません。 世間の多くの人々は、この罪責感を取り除くために様々な方法を試みます。善行や 寄付、知識の探求や趣味への没頭、忘れてしまうことや、他人に責任を負わせてし まうことなど、ありとあらゆることで良心の呵責から逃れようとします。自分の犯 したことを罪ではないことにしてしまうという愚策を立てる場合もあります。 しかし、罪とは元来、天地万物の創造者に対する反逆行為ということですから、創 造者への反逆行為を止めることと、罪人が創造者ご自身から反逆行為をしたことを 赦免されることがどうしても必要なのです。エデンの園でアダムは食べることを禁 じられていた木の実を食べて神様から咎められたときに妻であるエバに責任をかぶ せ、エバは蛇に責任を転嫁しようとしましたが解決はありませんでした。 きょうの聖書:で天にいる大群衆は「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊 にある」と賛美しています。14節では「その衣を小羊の血で洗って、白くしたの です」と述べています。神の御子イエス・キリストが私たちの罪の責任の全てを引 き受けて、十字架で死に、御父による罪の赦しを成し遂げてくださったのです。私 たちは全能者によってのみ可能な、唯一の方法で罪の重荷を取り除かれたのです。 祝福を祈ります。