今日の聖句 3月28日(木) わたしの義は近い。わたしの救いはすでに出ている。わたしの腕は国々の民をさ ばく。島々はわたしを待ち望み、わたしの腕に拠り頼む。 イザヤ51:5 イエスは言われた。「わたしは、苦しみを受ける前に、あなたがたといっしょに この過越の食事をすることをどんなに望んでいたことか。」 ルカ22:15 ************************************* 今週のテーマ:主の苦難 きょうの聖書:詩篇22:1-24 詩篇22篇1節 わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。 遠く離れて私をお救いにならないのですか。私のうめきのことばにも。 「見捨てられることはない」 今日は受難週の五日目です。最後の晩餐があり、イエス様が弟子たちの足を洗い ゲッセマネで祈り、オリーブ山で捕縛され、カヤパの法廷で尋問されました。こ の日はペテロなどはイエス様を否定し、ユダに至ってはイエス様の居るオリーブ 山へローマ軍を誘導してきました。 きょうの聖書:は十字架上でイエス様が引用したダビデの詩です。詩篇の22篇 はイエス様が文字通りに経験されたことがつぶさに謳われています。ダビデは約 1000年後にメシヤが被る苦しみを驚くほど正確に著述しました。ダビデもキリ ストと同じような苦しみを受け、キリストと同じように試練に打ち勝ちました。 私たちの罪の身代わりになって十字架に釘づけられたイエス様は、この1節を引 用して御父に祈ったのです。それは疑いの祈りではなく御父へ緊急を告げる訴え だったのです。哀れで惨めな私たち罪人を救うためにイエス様が引き受けてくだ さった大きな仕事だったのです。 ダビデには自分の人生の全体像が見えていて、イエス様には神様の人類救済計画 の全貌が明確に見えているのです。神様から捨てられたかのように見えても、実 はそのことによって、人々に救い主の御名と御父の栄光を知らせる働きをしてい ることが分かっているのです。ダビデもイエス様も御父から捨てられる人は一人 もいないと訴えているのです。 祝福を祈ります。