今日の聖句 3月5日(火) 見よ、わたしはこの民に再び不思議なこと、驚き怪しむべきことをする。 この民の知恵ある者の知恵は滅び、悟りある者の悟りは隠される。 イザヤ29:14 そのうえ神も、しるしと不思議とさまざまの力あるわざにより、また、みこころ に従って聖霊が分け与えてくださる賜物によってあかしされました。 ヘブル2:4 ************************************* 今週のテーマ:十字架をとって きょうの聖書:ヘブル13:7-16 ヘブル人への手紙13章12節13節14節 イエスも、ご自分の血によって民を聖なるものとするために、門の外で苦しみを 受けられました。ですから、私たちは、キリストのはずかしめを身に負って、宿 営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。私たちは、この地上に永遠の 都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。 「愛の十字架」 イエス様はエルサレムにあるゴルゴタの丘と呼ばれる小さな山の上で十字架につ けられて処刑されました。全く罪のない御方が、私たち汚れた罪人の身代わりに 神様の怒りと刑罰を受けて死なれたのです。そのゴルゴダの丘は2000年前は エルサレムの町の外にありました。城壁の外であり、門の外です。 日本の江戸では、江戸の町の外にあった「鈴ヶ森」というところが犯罪者の処刑 場でした。ゴルゴダも鈴ヶ森も今は大都会に吸収されています。しかし、その昔 は人も寄りつかない忌まわしい場所だったのです。汚物捨て場のように思われて いた場所です。イエス・キリストの死は実に無残な死だったのです。 それは私たちのためでした。キリストの犠牲によって私たちは救われ、神の子と 呼ばれるようになったのです。それならば私たちも城壁で守られた町の中にいる ような、厳しさも激しさもないような世界で安穏としているのではなく、イエス 様のように戦うべきところに出て行くべきではないかというのです。 戦うべきところとは、衣食住に事欠く人に衣食住を提供することです。罪を犯し て途方に暮れている人にキリストの愛と救いの道を伝えることです。身の安全ば かり考え、自分を守るだけでは、門の外で受難したキリストに合わせる顔がない でしょう。私たちは既に永遠の天の御国が保証されているのです。思い切って、 キリストと一緒に愛の十字架を担いで見ませんか。 祝福を祈ります。