今日の聖句 2月19日(火) なぜなら、身分の低い者から高い者まで、みな利得をむさぼり、預言者から祭司 に至るまで、みな偽りを行っているからだ。 エレミヤ 6:13 主の御前ばかりでなく、人の前でも公明正大なことを示そうと考えているからです。 2コリント8:21 *************************************** 今週のテーマ:悔い改め きょうの聖書:ローマ5:12-21 ローマ人への手紙5章20節21節 罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。それは、罪が死によって 支配したように、恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によっ て支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。 「愛が分かった」 私は教会に通い始めた頃、教会よりも寺や神社の方が楽で良いなあと感じたこと がありました。お寺では合掌とか言って手を合わせればそれで良いし、神社では 拍手してお辞儀をすればそれで良いわけです。ところが、教会は、聖書を読みな さい、お祈りしなさい、日曜日には教会へ来なさい、果ては、罪を犯してはなり ません、罪を犯したなら悔い改めて赦されなさい、と次から次に難しい課題が並 べ立てられたからです。 教会へ通うようになる前は、自分が罪人だ、などと思ったことは一度もなかった のです。それどころか他人を攻撃し、悪態をつきまくって、はばからなかったの です。教会へ通い始めて9ヶ月ほど経過した頃、罪とは、犯してはならないもの なのだと思えるようになってきました。口で犯す罪、手足の罪、特に人のものに 手を付けるということは絶対ダメなのだと思い知らされました。 更に、年月が経過する中で、聖書の教えに反抗したいという気持ちが自分の中に あることがはっきり分かってきました。人の目を盗んでは陰でこそこそと自分の 欲望を満たすような汚いまねをしていることが気になるようになりました。でも 教会を離れようとは思いませんでした。教会は私の人生を慰めてくれ、支援の姿 勢を見せ続けていてくれたからです。 そして、遂に私にも決定的に罪と決別する日が来ました。それは、罪を犯し続け るグウタラ・クリスチャンの私をイエス・キリストは自分の命を捨てるほどに愛 していてくださるということが分かった!ということです。私が清く正しい人間 に生まれ変わったわけではありません。罪に悩んだおかげで、愛が分かったので す。罪とは愛と真逆なものだったのです。 祝福を祈ります。